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「“神の手”“5人抜き”スーパースター・マラドーナとの想い出」目指せJ3!高知ユナイテッドも大家族やき

この情報は2020年12月9日時点の情報となります。

    JFLリーグからJ3昇格を目指す「高知ユナイテッドSC」。試合の勝敗だけではなく、クラブの魅力を知ってもらうため、クラブの活動やチームの裏話をお届けする「目指せJ3!高知ユナイテッドも大家族やき」を高知家の〇〇で連載しています。取材担当は西村監督の個人マネージャー、通称“Nマネ”です。今週はチームを率いる西村監督にマラドーナとの試合の想い出をお聞きしました。

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    先月25日に60歳でこの世を去ったサッカー界のスーパースター、元アルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナ氏。伝説となった「60m5人抜き」「神の手ゴール」の1986年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会より4年前の1982年、マラドーナ氏はボカ・ジュニアーズのキャプテンとして来日し、日本代表チームと親善試合を行いました。その時の日本代表メンバーだった高知ユナイテッドSC(高知U)西村監督にマラドーナ氏との試合の思い出を聞いてみました。

     

    1970~1980年代のマラドーナ氏の年表をご紹介。1979年から1987年の間に3回来日している。

    【ディエゴ・マラドーナ氏の年表(1970~80年代)】

    1960年 アルゼンチン生まれ

    1976年 プロ選手デビュー

    1977年 アルゼンチン代表選手に選出

    1978年 アルゼンチンW杯の最終エントリーでメンバーから外れる

    1979年 初来日。第2回ワールドユース日本大会に出場し優勝。キャプテンとして活躍し、チームの優勝に貢献

    1982年

     1月 ボカ・ジュニアーズキャプテンとして再来日し、日本代表と親善試合

     6月 スペインW杯に出場し、2次リーグで敗退

     8月 FCバルセロナに移籍

    1983年

     9月 左足首複雑骨折し、1シーズン出場できず

    1984年 SSCナポリ(セリエA)に移籍。移籍金は約20億円(当時)

    1986年

     SSCナポリはセリエAの3位に

     メキシコW杯にアルゼンチン代表のキャプテンで出場し優勝

    「60m5人抜き」をはじめ、数々のスーパープレーで世界中のファンを魅了した

    1987年

     1月 3度目の来日。日本サッカーリーグ選抜と南米選抜の親善試合が行われる

     5月 SSCナポリがセリエAを初制覇

    (出典:日本と世界のサッカー‘88年度版 成美堂出版)

     

    FIFAワールドユース選手権日本大会(1979)

    マラドーナ氏が初来日したのは、1979年に開催された第2回ワールドユース選手権(※)日本大会。この大会で、アルゼンチンは無敗で優勝し、マラドーナ氏は最優秀選手賞を受賞した。

    ※ワールドユース選手権:20歳以下の代表チームによるサッカー世界選手権大会で2年ごとに開催。(2007年「FIFA U-20ワールドカップ」に改称)第2回大会の開催国が日本が選ばれた理由は、サッカー普及の目的でサッカー後進国から順に開催されたから。(第1回大会開催国はチュニジア)

    別冊「サッカーマガジン」1979年秋季号表紙 (ベースボール・マガジン社)

     

    ―西村監督はマラドーナ氏より2歳年上。同世代のサッカー選手として当時の彼のプレーをどう感じましたか?

    西村「大阪弁で言えば、エグイの一言。こんなプレーが出来るんかいな?というと驚きの連続。相手ディフェンスが嫌がる場所、かつ味方にとって次のプレーがしやすい場所にボールを出していました。そして、いつでもゴールを目指していた。世界トップレベルの若手選手を日本で観られることに興奮しましたよ。1978年の自国開催のW杯の最終エントリーでメンバーから外されたマラドーナは当時18歳。自国開催では絶対に優勝というプレッシャーがある。当時のアルゼンチン代表監督メノッティ氏は逸材を自国開催のプレッシャーに潰されてはいけないという決断をしたと言われています。だからこそ、マラドーナの翌年のワールドユース大会にかける気持ちは計り知れませんでした。」

     

    日本代表vsボカ・ジュニアーズ親善試合(1982年)

    1982年1月「ゼロックス・スーパーサッカー」の一環で日本代表vsボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)の親善試合が3試合行われた。西村監督は神戸で行われた2戦目に出場。試合はマラドーナ氏が2得点を決め、2-3の日本代表の逆転負け。

    「ゼロックス・スーパーサッカー」(1982)パンフレット表紙

     

    ―ボカ・ジュニアーズ(ボカ)との対戦を聞いたときの気持ちを教えてください。

    西村「第二のペレ(サッカーの神様)と呼ばれたマラドーナと同じピッチに立てる!と興奮しました。日本代表メンバーに選ばれることも名誉なことだけど、今回の試合は絶対にメンバーとして招集されたい一心で代表選考の試合で目の色を変えてプレーしたのは私だけではないはず。笑」

     

    ―間近で見たマラドーナ氏の第一印象は?

    西村「身長は165㎝と小柄でしたが、胸板の厚さと太ももの太さに驚きました。まるでゴム鞠が跳ねるようなしなやかなドリブルで、身長以上に大きく見える存在感がありました。」

     

    ―実際に対戦していかがでしたか?

    西村「試合中はボールを取ってやろうと思っているのですが、触れることもできませんでした。行ける!と足を出したら浮き球で交わされました。苦笑 当時、浮き球でかわす行為は相手を侮辱しているように思われ好まれませんでした。でも、マラドーナのプレーは純粋にテクニックとして素晴らしく嫌な気持ちになるどころか、すごい抜かれ方したと感動すらありました。試合を振り返ると、ボカの攻撃を全てマラドーナがやっているようなイメージ。常にボールの側にはマラドーナがいて、パス出したと思ったらゴール前に現れて、マラドーナは一体何人いるのだ?と感じました。」

    日本代表時代の西村監督(日本vs北朝鮮1985)画像はフォート・キシモトより

     

    アルゼンチン代表チームへ想い

    ―西村監督はアルゼンチン代表のファンで、現在もW杯ではアルゼンチンを応援していると聞きしました。きっかけはマラドーナ氏ですか?

    西村「きっかけは1978年W杯アルゼンチン大会でのアルゼンチンの優勝です。アルゼンチンは小柄な選手が多いのにチーム全員に戦う姿勢が感じられて好きになりました。地元開催で優勝できたのは、国を挙げての応援の力が大きかったと思う。アルゼンチンでは背番号がアルファベット順なんですよ。(当時はポジションごとに番号が割り振られるのが一般的)特に好きだったのは背番号1番のオズワルド・アルディレス選手(後に横浜F・マリノス、東京ヴェルディ1969、清水エスパルスで監督を務めた)。テクニックがあり優れた攻撃力、球際の強さがありました。1986年のW杯メキシコ大会は、戦う姿勢のアルゼンチンにマラドーナというスーパースターが加わって優勝しました。マラドーナには一人で局面を変える力があり、苦しいときに彼にボールを預ければチャンスに変えてくれる、何とかしてくれるという安心感がありました。」

    日本代表ヨーロッパ遠征でトッテナム(イングランド)を訪問。アルディレス選手に会えた時はうれしくて記念撮影をお願いした(1982)

     

    FIFAワールドユース選手権アルゼンチン大会(2001年)

    -2001年に、西村監督はU20日本代表監督としてワールドユース選手権アルゼンチン大会に出場しました。マラドーナ氏が日本で優勝した大会と同じ大会ですね。

    西村「開催国がアルゼンチンと聞いたときは、何か自分の中でスイッチが入りました。日本大会から22年後に憧れの地アルゼンチンで、監督として戦えることは本当にうれしかったです。当時のメンバーには、前田遼一(FC岐阜)、佐藤寿人(ジェフユナイテッド千葉)、森崎浩司(元サンフレッチェ広島)、駒野友一(FC今治)、石川直宏(元FC東京)らがいました。彼らにはサッカーだけでなくアルゼンチンでしか体験できないことをさせたいと思い、調整日を利用して「イグアスの滝」に訪れたのはいい思い出です。」

    「サッカーダイジェスト」1987年4月号表紙 (日本スポーツ企画出版社)

     

    チームドクターから見たマラドーナ

    高知Uのチームドクター森本先生はマラドーナ氏の来日時、日本代表と古河電工(現ジェフユナイテッド千葉)のチームドクターとして試合に帯同されました。西村監督と一緒に当時の思い出を聞いてみました。

    関連記事を読む▶▶チームドクター森本先生のキャリア&お仕事拝見

    森本先生は当時のサッカー雑誌を多数保存されていた

     

    森本「1982年の日本代表vsボカの第1戦で試合前にマラドーナが足首を痛めて、痛い痛いと言っていたのに試合が始まるとフルで出場し100パーセントのパフォーマンスをしていました。あのプロ精神には驚きました。また、1987年の試合中に選手が倒れたので私がピッチに入るとすぐ後ろでマラドーナが水を飲んでいた。今では考えられないことですが、当時の日本のサッカー界では選手が試合中に水を飲んではいけない風潮がありました。水を飲めるのはハーフタイムと試合終了後。その様子がたまたま写真に写っていたました。」(ピッチサイドにボトルが置かれ試合中に水が飲めるようになったのはJリーグ開幕から)

    中央でしゃがんでいるのが森本先生、その後ろで水を飲むマラドーナ(1987)

     

    ―最後に、西村監督にとってのマラドーナ氏の魅力とは?

    西村「彼のサッカーを見ると、サッカーは楽しいものなのだ、ということを感じさせてくれます。ゴール決めたときや勝ったときに、チームメイトやサポーターと一緒に喜びを分かちあう姿、あのクリっとした瞳と笑顔が忘れられません。同じピッチに立てた経験は私の宝物です。」

     

    サッカー界のスーパースター、ディエゴ・マラドーナ。安らかにお眠りください。

     

    西村監督、森本先生ありがとうございました。

    ではでは、また来週~

     

    今週末は天皇杯第4回戦(高知県代表初の4回戦進出!)

    12月13日(日)vs筑波大学 19時キックオフ 

    (会場:茨城県立カシマサッカースタジアム)

    テレビ放送:NHK BS1 12/14(月)0:00~2:00(録画放送) お見逃しなく!

     

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