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「圧巻のお宝ラインアップ「もりもとサッカーミュージアム」チームドクター森本先生のお宝サッカーグッズ」目指せJ3!高知ユナイテッドも大家族やき

この情報は2020年12月23日時点の情報となります。

    JFLリーグからJ3昇格を目指す「高知ユナイテッドSC」。試合の勝敗だけではなく、クラブの魅力を知ってもらうため、クラブの活動やチームの裏話をお届けする「目指せJ3!高知ユナイテッドも大家族やき」を高知家の〇〇で連載しています。取材担当は西村監督の個人マネージャー、通称“Nマネ”です。今週は高知ユナイテッドSCのチームドクター森本先生が院長のお宝一杯のサッカーミュージアムを紹介します!

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    高知ユナイテッドSC(高知U)のチームドクター森本先生が院長を務める「もりもと整形外科・内科」の院内はサッカー一色。院内の壁には、写真、ユニフォーム、ペナントなどなどサッカー関連の品々がたくさん飾られており、サッカーミュージアムさながら!

    森本先生は1970年代から2000年代までチームドクターとして古河電工、日本代表、ジェフユナイテッド市原・千葉で活動されました。当時から現在まで、日本サッカーの歴史的に貴重な品々を多く保存されています。

    今回は「もりもとサッカーミュージアム」の森本先生のコレクションの中から、選りすぐりのお宝アイテムをご紹介します!

    病院内を見渡すと・・・

    廊下も!

    リハビリスペースも!!

    レントゲン室も!!!

    もちろん診察室も!!!!院内のあちこちにサッカー関連アイテムが並んでいます。

    ではでは、お宝たちをご紹介していきましょう。

     

    【日本代表選手の博多人形】

    1987年ソウルオリンピック最終予選後の解散式で日本代表選手に贈られ、森本先生は奥寺康彦氏(背番号10番)から譲り受けたもの。この博多人形は福岡在住のサッカー日本代表のファンから代表全員にプレゼントされたもので、人形の背番号は選手それぞれの番号を入れるこだわりよう。(当時の代表メンバーだった西村監督は背番号13の博多人形を所有。)

     

    奥寺康彦氏は日本人初のプロサッカー選手。古河電工でプレーした後、1977年ドイツ「ブンデスリーガ」のFCケルンと契約し、日本人初のプロサッカー選手となった。9年間にわたりブンデスリーガで活躍した。1986年に帰国後は古河電工に復帰し、同じ年に行われたアジアクラブ選手権での古河電工の優勝に大きく貢献した。

     

    森本先生は「日本人プロ第1号の偉大な選手。多くの人に知ってもらいたい」と、患者の目に付きやすい診察室のデスクに博多人形と奥寺選手の写真を一緒に飾っている。

    ユース日本代表ヨーロッパ遠征ではドイツで奥寺選手と食事を共にした

     

    【アジアクラブ選手権 優勝メダル】

    アジアクラブ選手権は、アジアサッカー連盟(AFC)が主催するクラブ選手権で「AFCチャンピオンズリーグ」の前身の大会。1986年、日本サッカーリーグで優勝した古河電工はアジアクラブ選手権に出場。決勝でサウジアラビアのアル・ラヒルと戦い、見事優勝した。森本先生はチームドクターとして帯同。決勝大会はサウジアラビアで行われ、自国開催で優勝すると思っていたサウジアラビア側は純金の優勝メダルを用意していたのだとか。(通常、大会優勝メダルに純金は使用されない)当時の価値で6万円らしい!

     

    【古河電工のユニフォーム】

    古河電工のチームエンブレムはシマウマ。当時のユニフォームはシマウマの縦縞でした。しかし、ジェフユナイテッド市原(当時)としてJリーグ参入時、ブラジルではシマウマは弱い動物と考えられているとの理由で、チームの母体であるJR東日本をイメージした秋田犬に変更になったのだとか。

     

    【日本代表「赤」ユニフォーム】

    「SAMURAI BULE」の愛称で親しまれる以前から、サッカー日本代表のチームカラーはずっと青だった。しかし日本サッカーの歴史の中で1989年~1991年のみ、赤いユニフォームが採用された。当時の代表ユニフォームは1年ごとにメーカーが替わるのが通例。赤いユニフォームはアディダス→プーマ→アシックスの順で3年間採用された。

     

    森本先生は1989年のアディダスの赤ユニフォームを所有。赤というだけでもレアなのですが、なんと、このユニフォームは現存するのは日本に2枚のみ!(もう1枚は日本サッカー協会サッカーミュージアムに展示されている)当時、使用しなくなったユニフォームは日本サッカー協会からアフリカの貧しい国に寄付をしていたからだそう。

     

    【日本代表メンバー(2015)サイン入りユニフォーム】

    森本先生は日本代表メンバーのサイン入りユニフォームを複数枚所有しているが、その中からとっておきの一枚を選んでもらった。

    このユニフォームは、森本先生の古希のお祝いに日本代表スタッフからプレゼントされたもの。(古希なので背番号は70)当時の日本代表メンバー全員のサインと一緒に、就任後1年足らずで解任されたアギーレ元日本代表監督のサインも入っており(ロゴ上部分)、別の意味でも激レアなのだ。

     

    【北朝鮮遠征の記録写真】

    1985年、日本代表チームがメキシコW杯最終予選で北朝鮮を訪問した際の貴重な記録写真。(森本先生はカメラ好き)森本先生はチームドクターとして帯同。当時の様子を聞くと、森本「平壌の印象は、何もない、ひと昔前の日本にようだった。平壌市内のスタジアムは固い地面に人工芝をのせているだけの粗末なつくりで驚いた。試合当日のスタジアムは黒っぽい服装の5万人の観客に埋め尽くされ異様な雰囲気だった」と語る。

    【お宝その6】ジェフのフラッグ

    ジェフユナイテッド市原・千葉(ジェフ)のチームドクターだった当時、森本先生は田中整形外科病院(高知市上町)に勤務していた。ジェフの選手たちはケガの手術の際は、森本先生に執刀してもらうために、千葉から田中整形病院に来院していたのだ。退院時、選手たちはこのフラッグにサインをしていった。

    城彰二氏のサインも!

    最後に森本先生にお話を伺いました。

    森本先生「私にとっての歴史だけど、選手にとっての歴史でもある。選手はユニフォームなど誰かにあげたりして手元に残っていないことが多い。誰かのために残していきたいと思って保存しています。今は忙しくて整理出来ていませんが、いつか自宅の蔵を改造してミュージアムにしたいですね。」

    残念ながら、西村監督の現役選手時代のものはほとんど手元にありません。

    森本先生コレクションを目にすることで、当時のことをより深く理解することができ、歴史を残し、伝えることの大切さを感じました。

    森本先生、ありがとうございました!

     

    もりもと整形外科・内科

    高知市朝倉本町2-12-6

    088-843-5342