「日本最高のシチュエーションで食べる、そば『時屋』」食べ歩きスト・マッキー牧元の高知満腹日記 その52

立ち食いそばから割烹、フレンチからエスニック、スィーツから居酒屋まで、年間600回外食をし、料理評論、紀行、雑誌寄稿、ラジオ、テレビ出演を超多忙にこなす食べ歩きストのマッキー牧元さんが高知の食材・生産者さんをめぐって紹介する「高知満腹日記」。

そばを食べるのに、こんなに適した場所はない。

その店は、人里離れた山奥に、ぽつねんと佇んでいた。

山中の閑居、蕎麦屋「時屋」である。

「時屋」は、愛媛県との県境に近い、寒風山や冠山、長沢山などが連なる、高知県吾川郡いの町に店を構える。

道路から沢に向かって降りていくと、その店はあった。

「時屋」と書かれた白いのれんが揺れている。

「いらっしゃいませ」。

店に入ると、誠実そうなご主人と奥様に出迎えられた。

店は傾斜に張り出すように建てられている。

渓流の勇ましい音が流れ、葉がそよぐ微かな音と小鳥の鳴き声が、響きあう。

もうこれだけでいい。

都会の汗が落ち、本来の自分の時間が戻り、心が安寧に包まれる。

そば前に、三点盛りの酒肴と、胡麻豆腐、そば味噌、そばがき、天ぷらとお酒をいただくことにした。

菜の花辛子醤油和え、近所の渓流で獲ったという、しっとりとして柔らかいアマゴの有馬煮、優しい甘さの中からほろ苦い春が顔を出す、つくしの佃煮という三点盛りは、楚々としたこの地の恵みである。

胡麻豆腐は香り高く、そばがきはぽってりとして、口に入れると香りだけを放ちながら、淡雪のように消えていく。

天ぷらは、ふきのとう、インゲン、三種類の麩、銀杏、サツマイモ、かぼちゃ、なす、シソ、海苔という布陣である。

酒が進む。じっくりと進む。

陽光が指す山々の景色を眺めながらの昼酒ほど、幸せな時間の過ごし方はないだろう。

さあそばが運ばれて来た。

すかさず手繰る。

ずるるるっ。

そばの香りが喉にぶつかって鼻に抜けた。

野趣に富む、草の香が漂う。

そばはしなやかで、ほのかに甘みを秘めている。

突然思い立って、窓を開けた。

そばを窓の外に出して陽を浴びさせたのち、再び手繰る。

ああ。 沢や木々の香りと竿馬の香りが入り混じる。

そばを手繰る音と渓流のせせらぎが共鳴する。

そして体に流れ込んだ清涼な空気が、そばを生き生きと輝かす。

長い間、各地で様々なそばを食べて来た。

しかし、これほどまでにそばを食べる幸せが体に満ちる場所は知らない。

 

高知県吾川郡いの町中野川「時屋」にて

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